中島みゆきの曲の中に
「愛だけを残せ」
という曲があります。
サビに、
・・・
愛だけを残せ
こわれない愛を
・・・
名さえも残さず
愛だけ残せ
・・・
という部分があります。
この歌詞を聞くと、
心に刺さるような感覚を
おぼえます。
愛を残すこと、というのは
誰にでも条件としてはできることであり、
また、人としてすべきことは
愛を残すことだけ
かもしれないと思います。
歴史に名を刻むこと、
家族に資産を残すこと、
それらも偉大なことだと思いますが、
何よりもまず、
愛を残すこと、
それが重要ではないかと思います。
そして、愛を残すことはとても大変なことであり、
限りある人生の中では、
愛を残すことを最終目的にしてもいいのではないかと思います。
愛はかたちのないものであり、
また、
人の心というかたちのないものに宿るものだと思います。
愛というのは、
人にエネルギーを与えます。
自分の心の中には親や妻から受けた愛がある、
そう思う時、元気が出てきます。
心が温かくなります。
愛を残すこと、それは人として
最上ではないかと思います。
ただ、相手の心の中に愛を残すこと、
それはとても大変なことだと思います。
一朝一夕にできることではありません。
まず、愛をもつこと。
自己中心的な思考になってしまうと、
愛はどこかへ行ってしまいます。
私はすぐ、自己中心的な思考になってしまいます。
自身が楽しい思いをしようとすること、
しんどい思いから解放されようとすること、
など、気づけば自己中心的になっています。
自己中心的にならないこと、
このハードルはとても高いものです。
また、どうやって、相手の心の中に愛を残すか。
愛も心も形のないものです。
何かしらの形のあるものに愛を込めて相手に伝え、
相手が形のあるものだけでなく、そこに込められた愛までも
受けとらなくてはなりません。
ただ、愛は込めるものではなく、
愛があれば“勝手に愛はこもるもの”かもしれないな、と思います。
例えば、妻が夫に渡す弁当。
弁当は弁当であり、愛のある弁当も、愛のない弁当も、同じ弁当です。
しかし、両者の弁当には違いがあり、
夫が愛を感じ取ることができるのであれば、
愛のある弁当は食べてしまって消化されなくなっても、
そこには愛が残っているのではないかと思われます。
そういう点では、妻に愛がなければ夫に愛を伝えることはできないし(当然ですが)、
夫に愛がなければ妻からの愛を受け取ることはできない、
のかなと思います。
愛を込めることができるのは、弁当だけでなく、
会話や、手紙などの言葉、
笑顔などの表情やしぐさ、
家事や早く家に帰ってくる、などの行動、
プレゼント等のもの
など、いろいろなものを媒介とすることができます。
また愛を伝える対象は、
家族や妻だけでなく、
友人や広く社会の人々だって可能だと思います。(愛を持てればですが。)
人と人の間に愛がある時、
二人の間にあるもの、言葉、行動など、
すべては愛を伝える媒介となります。
そうして伝わった愛が、
心に残っていくのでしょう。
愛だけでは寝言で終わってしまうと思いますが、
愛がなければ人としてさみしいとも思います。
まずは、愛をもつこと、
そして、愛を感じ取ることが
重要かな、と思います。
人間として成長すれば、
世の中の人に対して愛を抱くことができ、
それらの人に愛を伝えることができるようになり、
それらがうまく相手に受け取られれば、
相手を元気にすることができるようになります。
例えば、中島みゆきの曲からは愛を感じますし、
茨木のり子の詩集からも愛を感じます。
ドラッカーの経営に対する考え方からも愛を感じます。
また、世の中の製品・商品から愛を感じることもあります。
そういったところまでいけるように成長していきたいと思います。
そして、もちろん、家族に対しては、
日々、愛を抱き、愛を伝え、愛を残していきたいと思います。
家族への愛、それははずすことのできない第一優先だと思います。
ということで、明日の家族との時間に支障が出ないように、
今夜もそろそろ寝るべきですね。