2012年11月21日水曜日

哲学してみる(その他)




哲学してみる(はじめての哲学)
オスカー・ブルニフィエ
世界文化社 2012年


本書は、先日、NPOハロードリームのセミナーに参加した時のテキストでした。

哲学の導入書のようで、身近なものを対比させて考えるようになっています。

本書の最初に出てくるテーマが、「存在と外見」でした。
見開きのページに白身魚のフライとおもちゃの魚が描かれています。
白身魚のフライは魚ですが、見た目は魚ではありません。
おもちゃの魚は見た目は魚ですが、生物ではありません。

聞いた話では、子どもに「魚はどっち?」と尋ねると、おもちゃの魚を指すそうです。
対して大人になるにつれて魚は白身魚のフライだと考えるようになるようです。


存在は見た目が変わっても変わらないものです。外見と対比させて、内面と言ってもいいと思います。
例えば、スーツを着ていてもパジャマを着ていても同じ人です。
存在(内面)とは、考え方や信条、価値観などが該当すると思います。


セミナーは4人グループのワークショップ形式だったのですが、メンバーのお一人が、「外見は属性とも言える」とおっしゃいました。
そう考えると、思考の幅は広がり、外見には仕事の内容とか役職、学歴なども含まれてきます。

人にとって、存在(内面)も大切ですが、外見(属性)も大切です。

存在と外見は、例えれば、水と器のようなもの、だと思います。
存在とは形はもたず質で示されるものだと思います。
水は無形ですが、甘い水や苦い水など、質には明確な違いがあります。
外見は、存在と他者とをつないでくれる境界です。
外見がなければ、相手に自己の存在を伝えることはできません。
いくらうまい水でも、手ですくったり、コップに入れないと飲めません。

追い求めるべきは、存在と外見どちらでしょうか。
私の中では、存在の方が価値が高く、外見は軽視しがちです。
存在は生きる目的、外見(属性)は生きる手段、といった感じです。

だけど、結局は、存在と外見は、両輪のような関係で、前に進むには両方必要なのでしょう。
そして、片方だけが急に大きくなったりしたら、その場で円を描きだして前に進まなくなるため、バランスも必要です。

また、存在と外見は相互に影響しあっているとも思います。
内面が変われば外見もおのずと変わり、外見の変化が内面に影響することもあるでしょう。

例えば、ある病気にかかることは外見の変化です。
その病気を長く患うことになれば、内面にも変化があらわれるでしょう。
他人の痛みに共感を示すようになるかもしれません。
また、その後、その病気を克服すれば、内面にまた違った変化があらわれることでしょう。
ものごとをポジティブに考えるようになるかもしれません。

また、存在も外見もなかなか変わらない部分もあれば、なにかの出来事でがらりと変わってしまうこともあると思います。

ここまで考えて自分を振り返ってみると、最近は、資格をとることや、経営コンサルティングを仕事にすることに熱を入れていました。
これらは外見(属性)に該当します。
存在を高めることも忘れてはなりません。
考え方や信条、価値観などを高めるには、読書・行動・経験などがポイントなのでしょうか。
外見もおろそかにはできませんが、存在を高め人の苦しみを取り除けるような人になりたいと思います。


まとまりのない文章になってしまいました。

自分自身や人間そのものを、存在と外見の二つにわけてみる、というだけで、いろいろと考えることができました。
おもしろい分け方ですね。本書には、他にも10個ほどの二分法がありますが、どのお題もよく練られたものだと思います。。
二つにわけて考えることで、今まで意識しなかったことが見えたりします。
秀逸な一冊だと思います。

2012年11月20日火曜日

いのちのバトン (28/100)




28冊目は、
いのちのバトン
志村季世恵 著
講談社文庫 2009年
です。


本書では、死の間際や、出産前、子育ての強いストレス、うつ病など極限状態の人の苦しみが描かれています。

苦しみの後には喜びのシーンもあるのですが、とにかく読んでいて苦しくなりました。
ただ、現実にはこの苦しみの渦中にいる人が存在するということを、感じることができました。

著者はセラピストで、最近ではダイアローグ・イン・ザ・ダークという興味深い活動もされています。

本書はそのセラピーを通して出会った方たちの話です。
とにかく、クライアントへの著者の関わり方がすごいのです。
状況によっては食事・睡眠を共にし、セラピーの中で涙を流し、友だちのような感覚を持つのだそうです。
クライアントが亡くなると落ち込むと書かれていますが、当然だろうと思います。
すごいことをされているのですが、一般の人の何十倍もの悲しみ・喜びを経験することになり、体と心がもたず続けられないのではないか、と心配してしまいます。
体と心がもたないというのは、医師や看護師など医療や介護に関わる方たちに共通することなのかもしれません。

著者にとってセラピーは仕事ではなく、生き方なのだろうと思います。オンとオフの境がありません。

ちなみに、経営者や経営コンサルティングも仕事ではなく生き方だと思います。
価値を提供して対価を受け取るので、もちろん仕事ですが、日常の考え方、ふるまい、それらもコンサルティングとつながっていて、オンとオフの明確な境がないためです。

ただ、それは目新しいことではなく、一昔前は、「農民」「商人」「職人」などオンオフの境が明確でなく、仕事と生き方がリンクしていた時代だったのかなと思います。

私も将来、著者のように人の悩みを解消する手助けがしたいと思うので、この苦しさを頭の中だけではあるけれど、知っておく必要があると思います。

「ほんとうの奇跡」という章の中で、死を前にして悲観的になり、また過去の出来事に怒りを感じている、ある母親が紹介されます。
著者は、小さな幸福を探し、気持ちいいことを感じ、すてきなことを感じて、一日一日を楽しくすごそうと、その母親に提案します。
また、母親が元気になるという奇跡を願う娘さんにはこう言います。
「奇跡を考える前に、今、何をしたらお母さんが幸福な気持ちでいられるかを考えてみない?
 病気のお母さんでも感じられる幸福。
 今日は、奇跡が起きなかったからダメな日だった、ではなくて、今日もお母さんが小さな幸福を味わえて良かったねって。
 毎日を大切な、すてきな日にするの。」

私は「明日も今日のような日であればいいな」と、その日に満足できる人が増えるような仕事(生き方)をしたいなと考えているので、本書のこの部分は非常に参考になりました。

本書に登場する母親の場合、残された時間が少なく、今、生きている時をいいものにしようとします。
それが奇跡的に、母親を過去の怒りから解放し、残された家族の将来も明るいものにします。

著者は、目に見えない森や泉が誰の中にも存在していて、その森や泉を取り戻せたなら、本物の豊かさを知ることができる、といいます。
土の上を裸足で歩いたりする著者のセラピーはこの森や泉を取り戻すためのものなのでしょう。
別のことばでは、「ありのままの自分を受け入れて、今の自分を愛し、そこからスタートする」とも書かれています。

人は病や人間関係などに悩み苦しんで生きていますが、著者のいうとおり、今の自分を愛することができたら、明日も今日のような日であればいいなと思えるのではないかと思います。

私の人生に、道しるべを立ててくれた一冊でした。

最後に、印象に残ったことばを引用させてもらいます。

P11、
人は大きな苦しみを持つと、孤独な気分に陥ります。
するといつのまにか人や自然とのつながりを忘れてしまったりするのです。

P140、
元々、私はそういうところがあるんです。
学生の頃も、子どもの頃も。
ボランティア精神とエリート意識が混ざってて、よく「いい子ぶりっ子」って人に言われてましたから。

P172、一日だけでやぶれかぶれになって、もうダメ!なんてもったいないよねぇ。

2012年11月19日月曜日

完全なる経営 一回目 (27/100)




27冊目は、完全なる経営
A・H・マズロー 著
金井壽宏 監訳 大川修二 訳
日本経済新聞出版社 2001年
です。

本書の原題は「マズローオンマネジメント(マズロー、経営を語る)」、であり、欲求5段階説で有名な心理学者であるマズローが、経営や産業についての手記・覚書をまとめた書です。

400ページを越える書籍ですが、あちこちに傍線をひきたくなる魅力的な書籍です。
魅力的すぎて、影響を受けすぎて、まぶしすぎる一冊で、うまくまとめることができませんでした。
実は、2011年2月に本書を購入したのですが、内容が魅力的すぎて、レビューにまとめるまでこんなに時間がかかりました。
というか、全てをレビューにまとめることはできなかったので、もっと消化できた段階で、再度レビューを書きたいと思います。
また、本書を読む前にマズローの他の書籍である「完全なる人間」「人間性の心理学」等を読んだ方がいいのかもしれません。

不完全で間違ったレビューになっているとしたら、すみません。

現段階で感じた内容を書かせていただきます。

マズローは、「いい人間」や「いい社会」が実現することを望んでいます。
「いい人間」とは、自己実現(欲求の5段階の最上位)した完全なるひと、精神的に健康なひと、のことです。
「いい社会」とは、精神的に健康なひとが育ちやすい成長の場、と定義されています。

「いい人間」は「いい社会」をつくり、「いい社会」は「いい人間」を育てます。
理想的な好循環ですね。

そして、マズローは企業をミクロな社会と考え、企業は「いい人間」と「いい社会」の中間にあると考えています。
ですから、本書の中では一企業の利益について述べるのではなく、「いい社会」と「いい会社」の関係を中心に述べています。
また社員についても、会社の一員というよりは社会の一員としての捉え方の方が強く、社員の精神的健康についても述べています。

マズローは、健全な人間は、仕事を通じて成長し、自己実現に向かうことができる、といいます。
また、その仕事の内容には条件があり、「誇ることのできない仕事」や「人間性を奪う仕事」等は除かれます。

ちなみに、自己実現とは、自分の存在価値を示していくことによって長期的に探し続けるものだそうです。
現在進行形で終わりがないもの(かもしれない)と書かれています。
マズローは、中学生・高校生で自己実現している人がいるとは考えていなかった、と監訳者の金井先生は書いています。

感想として、利益を出すのが「いい会社」の第一義ではなく、「いい人間」を育てるのが「いい会社」という考え方に共感しました。
社会では利益をあげている会社は評価が高いですが、それは経済的側面からの評価だと思います。
経済的評価ではなく、人間がよりよく生きるためという最終目的の観点からマズローは会社を評価しています。
企業価値を高めるという経済的評価だけを求めていては、人間という存在から乖離していき空中分解してしまいそうなむなしさを感じます。
もちろんマズローは「いい会社」はビジネスで成功すると述べています。

マズローのいう「いい会社」は自分自身の理想とする会社に近く、マズローの視点を身につけるため、繰り返し読みたいです。
人間活性化と「いい人間」は重なる部分も多いので、人間活性化のためにも「いい会社」が増えるような仕事をしていきたいとも思います。

ちなみに、序盤には自己実現に関する記述があります。幸福とはなにかという記述もあります。
自分の人生を考える上で、一つの指針を与えてくれ、経営に興味のない方でも、一読の価値はあります。

この本は、発売当初の数十年前は全然売れなかったそうです。
時代が早すぎたのでしょう。
マズローが残した種が、21世紀に入って花開いたのだと思います。

2012年11月3日土曜日

なぜ会社は変われないのか (26/100)




26冊目は、
なぜ会社は変われないのか
危機突破の企業風土改革
柴田昌治 著
日本経済新聞社
1998年


企業風土の変革をテーマに、会社が生まれ変わる姿が物語調に描かれています。
著者は経営コンサルタントです。
うまくいっていない会社が舞台なのですが、読みながら「こういうことあるよなぁ」と思ってしまう、“あるある本”です。


本書では、経営陣も管理職も一般社員もみんな持ち場でがんばっているのにうまくいかない会社が、生まれ変わっていきます。
会社が変わると言っても、ソフトとハードの二通りあります。
ハードは、制度や組織構造を指します。
ソフトは、風土、組織文化を指します。本書ではそのソフトの方をどうやって変えるか、が書かれています。
私は、この分類を知っただけでも、視界が開けた気がしました。
今まで、会社という目に見えないものに対して、ソフトもハードも混じった状態で考えていたのです。

組織のソフトの部分は生ものであり、だんだんと悪くなっていきます。
これはソフトそのものの問題と、ハードからの影響(成果主義の失敗等)とがあるでしょう。
何もしなければ、組織の風土や文化はやがて、個別最適になり、部門間の協力が減り、ことなかれ主義になっていきます。
人がいきいきと仕事をするということに対しては、ハードよりもソフトの方が影響が強いと思います。

組織が危機に陥った時、ハードの改善だけしてもソフトが悪いままでは、ハードの改善の効果も出ません。
また、ソフトが悪いのに、ハードを変えても効果はありません。
加えて、ソフトの改善には人が関わることが重要で、コミュニケーション技術が必要です。

レビューを書こうとして知ったのですが、本書は14年も前の書籍なのですね。
今も伝わってくるものがあるということは、ビジネスの場には当時から変わらないものがあるということでしょう。
この本からは、「会社をよくしよう」という熱い思いが伝わってきて、数年に1度は読んでいます。
「今いる組織を良くしたい」、「いきいきと働きたい」、という思いを思い起こさせてくれ、コンサルティングを志した時の気持ちを思い出すことができます。
私がやりたいコンサルティングは、ソフトの方だということが、本書を読んで明確になりました。
本書では、組織改革コンサルティングのノウハウがたくさん記載されており、著者の他の書籍も読んで勉強しようと思います。

人間の活性化という観点からも、会社や職場はとても重要です。
「エネルギーが出てくる」職場と、「いつ辞めようかと思ってしまう」職場では、人の活性化は全く異なります。

本書では、組織の活性化についても書かれています。
著者は「不安定な状態」が活性化した状態だといいます。
これは、「不安定な状態」だからこそ改善のエネルギーが生まれるから、だそうです。
安定している状態というのは前向きなエネルギーが低下している状態、とも述べています。

ということは、人間の活性化においても、「不安定な状態」が活性化している状態なのでしょうか。
確かに、困っているときには、なんとかしようというエネルギーが出てきます。
ただ、不安定なだけでは精神的な満足度・充実感は低いような気もします。
組織と人間では、活性化の意味合いが少し異なるのかもしれません。


もう一点、興味深かったのは、98ページの会社をよくするためのミーティングの場面で、メンバーが不満を吐き出しつくすと、気持ちに決着がついて、気持ちが前向きになってくるシーンです。
本書の中では「自然治癒力」という表現が使われていますが、気持ちがすっきりすると、おのずと前向きになるようです。
人間活性化を考える時も、プラスの反応を求めるよりも、マイナスの反応をのぞけば自然と活性化してくるものかもしれません。
というよりも、マイナスの反応がある内は、プラスの反応の効果もなくなるのかもしれません。
まずは、気持ちをすっきりさせること。それが、人間活性化の第一歩かもしれません。
また、人間活性化モデルを再考したいと思います。

最後に印象に残ったことばを紹介します。

P2.制度やシステム、戦略などハードに属するものは「変えよう」と思えば、トップダウンでも変えられるものです。しかし、会社に対する「思い」だとかチームワークを良くしようという「気持ち」などのソフトに属する部分は、「変えよう」と思うだけでは簡単には変わりません。

P3.唯一、ひとの気持ちが変わっていくのは、「変えよう」とするだけでなく、責任あるポジションにいる人が先頭に立って「一緒に変わろう」とするときなのです。

P31.あきらめるというのは、ある面で楽な部分があって「私は何もしないよ」と宣言しているようなものです。

P32.そうならないことを願っているが、もし君が指弾されるような事態になれば、私はそれを問題にする心の用意をしているということを伝えておきたい。

P42.結局は、人のやる気を引き出すことが改革のかなめだと経験から知らされていた。

P53.往々にしてトップダウン型の活動では、推進側のシナリオにそって決められたとおりにやることを一方的に社員に押しつけます。なまじ推進者はトップのお墨付きがあるから、やらせるのが自分達の仕事と思って、相手の気持ちにお構いなくガンガンやるわけです。

P54.会社が社員を変えるのではなく、社員が会社を変えるということ

P59.社員は誰も怠けようなんて考えていないし、朝から晩まで必死に働いています。みんな一生懸命がんばっているんです。にもかかわらず、経営状態は好転するどころか、むしろだんだん悪くなっているようにも見えます。

P66.「協調する」というのは、一面で変化を嫌う不活性的な状態に通じる。それが「負のエネルギー」つまり「安定化」というエネルギーをもっているのに対し、「協力する」というのは「正のエネルギー」つまり「不安定化」という要素を内含している。

P120.前向きの価値感を共有している仲間がいれば殻も破れるのかもしれないけど、一人だけ出る杭になると、やはり負のベクトルが働いている組織の中では爆死してしまうんです。

P133.最初に自分を開示してしまうと、うまく話そう、りっぱな意見を言おうといった“勝ち負け意識”も薄められる。

P138.あのにぎり飯が唯一の思い出です。親父というと、初めて会う息子に食べさせようと大事に腹の中に抱えてきてくれた、あのにぎり飯のぬくもりを今でも思い出すんです。

P213.失敗しやすい環境というのも大切なんですよ。つまり、失敗してもフォローが効いていて、あまり大きな損失にならないような環境ですね。

P240.衆知を集めて一人で決める

P284.対立あるところに雑談なし。

P327.部屋のドアには『入室後は肩書きなし』という札が掛けられている。この部屋の中だけでも、目線を同じにして徹底的に知恵を出し合おうというみんなの気持ちの表れである。

P333.攻めたり、押しつけたりすると気持ちが逃げる、気持ちが逃げると知恵も一緒に逃げていくんだと。ないと思っていた知恵は、じつは逃げていただけでちゃんとあった。

P335.それなのに川久保さんや仙石さんは、とにかく生産を支えろと踏んばっている。他が骨と皮になっても生産だけは食わせなきゃだめだって頑張る。それを見て、メーカーというのは何を削ぎ落としていっても最後まで守るべき砦は直接部門なんだと痛感しました。

2012年11月2日金曜日

職場はなぜ壊れるのか (25/100)



25冊目は、
職場はなぜ壊れるのか
産業医が見た人間関係の病理

荒井千暁 著
ちくま新書 2007
です。


仕事のトラブルのニュースは身近にも新聞・雑誌にも数多くあります。過労者、うつ病患者、退職者の続出。産業医である著者はそういったトラブルと「職場が崩壊すること」に関連を見出だしています。
職場が壊れ、働き続けることができない場所になっていることについて、その原因を考察した一冊です。

働くこと。
それは人間活性化に大きく影響します。
仕事をすることで、生活の安定、連帯感、自己成長感、自己効力感、達成感、他者の役に立つ実感、などが得られます。

職場が原因で、仕事が続けられないとなると、人間活性化からも重要な問題です。
そもそも、仕事が続けられないだけでなく、仕事で多大なダメージを受け、不活性になってしまうことも問題です。


職場という「場」には、いろいろなルールやパワー(権力)があります。
本書で触れられているものでは、
成果主義、能力主義
個人主義、フルコミッション
目標管理制度
自律的労働論、裁量労働制
派閥の対立
セクハラ、パワハラ
経営者の会社の私物化
などがあります。これらには、近年発生したものと、以前からあるものがあります。
そして、それらから社員に発生する、理不尽さ、重いノルマによる圧迫、人間関係の軋轢、孤立、不満…
そういったものが、冒頭にあげたトラブルへとつながるのです。

著者は特に、成果主義に片寄った人事制度に警鐘を鳴らし、人間が人間を評価することは困難だと述べています。

本書は壊れた職場の点描がいくつも出てきます。(ちょっと内容にまとまりがないようにも感じますが。)
人間活性化モデルを再考する上で、仕事や職場のプラス面・マイナス面のバリエーションを増やすことができました。

本書の最後の、「仕事はアート」という表現の部分は、非常に印象的でした。
もとは「医はアート」ということばで、「ヒポクラテスの誓い」などのことばも残っている、ギリシャの医聖ヒポクラテスのことばです。

ここでいうアートとは芸術ということではなく、サイエンスやスキルということばと対比させた個別のオリジナルのもの、という意味です。
デジタルのコンピュータの計算と違い、非常に複雑な現実での仕事は、同じものは二つとありません。

仕事は常にオンリーワンのものであり、それが輝くかどうかは、携わる個人個人にかかっています。
自分の携わった仕事が輝くかどうか、そこに仕事の楽しさがあり、仕事が輝く職場は、崩壊から縁遠いのではないかと思います。

職場やチームといった集団は、所属する個人に力を与えもするし、力を奪いもします。職場という集団の「使命」は利益をだすことというのが一般的だと思いますが、その使命のために、所属する個人に致命的な痛みを負わせていては、不幸な集団だと思います。

国という集団では、他国との戦争で個人が死ぬことが許容されますが、それもやはり不幸なことです。

個人よりも集団の優先順位が高くなり、集団の継続のために個人に痛みを負わせる、ということは往々にしてあります。「一粒の麦もし地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、死なば多くの実を結ぶべし」、というフランスの小説のことばを、ドラマ相棒の右京さんが苦々しく紹介したこともあります。
一粒の麦である個人にとって重要だと思うのは、その優先順位の逆転を、集団の総意で決めるのか、集団の中で権力をもつ個人が決めるのかだと思います。この二つには、大きな隔たりがあると思います。
そして、職場の崩壊の原因の多くは、集団の中で権力をもつ個人によって生じていると思います。
職場が所属する個人に力を与える場であることを切に願います。より小さな単位の、チームでもいいです。そんな職場やチームは、まさにアートと呼べると思います。

最後に印象に残ったことばを紹介します。

P56、不満のはけ口としてのセクシャルハラスメント

P106、成果を問うといいながら、実はそれ以外のチェックリストがたくさんある

P163、人というものは仕事が強いられている、いないにかかわらず過剰な長時間労働をしていれば、ただそれだけで崩れるようなのです。

P208、安全基地としての職場環境

P210、人間の能力とは不思議なもので、強力であればあるほど結果が出せるというものではない。コンディションが良いからといって勝てるわけでもないし、今日はダメだなと思っていても粘り強く投げてみたら勝っていた。

P216、仕事はスキルという呪縛から解き放たれ、仕事はアートなり、というかつてあった思想が呼び戻され、ふたたび深く浸透してゆくことを望んでやみません。