25冊目は、
職場はなぜ壊れるのか
産業医が見た人間関係の病理
荒井千暁 著
ちくま新書 2007
です。
仕事のトラブルのニュースは身近にも新聞・雑誌にも数多くあります。過労者、うつ病患者、退職者の続出。産業医である著者はそういったトラブルと「職場が崩壊すること」に関連を見出だしています。
職場が壊れ、働き続けることができない場所になっていることについて、その原因を考察した一冊です。
働くこと。
それは人間活性化に大きく影響します。
仕事をすることで、生活の安定、連帯感、自己成長感、自己効力感、達成感、他者の役に立つ実感、などが得られます。
職場が原因で、仕事が続けられないとなると、人間活性化からも重要な問題です。
そもそも、仕事が続けられないだけでなく、仕事で多大なダメージを受け、不活性になってしまうことも問題です。
職場という「場」には、いろいろなルールやパワー(権力)があります。
本書で触れられているものでは、
成果主義、能力主義
個人主義、フルコミッション
目標管理制度
自律的労働論、裁量労働制
派閥の対立
セクハラ、パワハラ
経営者の会社の私物化
などがあります。これらには、近年発生したものと、以前からあるものがあります。
そして、それらから社員に発生する、理不尽さ、重いノルマによる圧迫、人間関係の軋轢、孤立、不満…
そういったものが、冒頭にあげたトラブルへとつながるのです。
著者は特に、成果主義に片寄った人事制度に警鐘を鳴らし、人間が人間を評価することは困難だと述べています。
本書は壊れた職場の点描がいくつも出てきます。(ちょっと内容にまとまりがないようにも感じますが。)
人間活性化モデルを再考する上で、仕事や職場のプラス面・マイナス面のバリエーションを増やすことができました。
本書の最後の、「仕事はアート」という表現の部分は、非常に印象的でした。
もとは「医はアート」ということばで、「ヒポクラテスの誓い」などのことばも残っている、ギリシャの医聖ヒポクラテスのことばです。
ここでいうアートとは芸術ということではなく、サイエンスやスキルということばと対比させた個別のオリジナルのもの、という意味です。
デジタルのコンピュータの計算と違い、非常に複雑な現実での仕事は、同じものは二つとありません。
仕事は常にオンリーワンのものであり、それが輝くかどうかは、携わる個人個人にかかっています。
自分の携わった仕事が輝くかどうか、そこに仕事の楽しさがあり、仕事が輝く職場は、崩壊から縁遠いのではないかと思います。
職場やチームといった集団は、所属する個人に力を与えもするし、力を奪いもします。職場という集団の「使命」は利益をだすことというのが一般的だと思いますが、その使命のために、所属する個人に致命的な痛みを負わせていては、不幸な集団だと思います。
国という集団では、他国との戦争で個人が死ぬことが許容されますが、それもやはり不幸なことです。
個人よりも集団の優先順位が高くなり、集団の継続のために個人に痛みを負わせる、ということは往々にしてあります。「一粒の麦もし地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、死なば多くの実を結ぶべし」、というフランスの小説のことばを、ドラマ相棒の右京さんが苦々しく紹介したこともあります。
一粒の麦である個人にとって重要だと思うのは、その優先順位の逆転を、集団の総意で決めるのか、集団の中で権力をもつ個人が決めるのかだと思います。この二つには、大きな隔たりがあると思います。
そして、職場の崩壊の原因の多くは、集団の中で権力をもつ個人によって生じていると思います。
職場が所属する個人に力を与える場であることを切に願います。より小さな単位の、チームでもいいです。そんな職場やチームは、まさにアートと呼べると思います。
最後に印象に残ったことばを紹介します。
P56、不満のはけ口としてのセクシャルハラスメント
P106、成果を問うといいながら、実はそれ以外のチェックリストがたくさんある
P163、人というものは仕事が強いられている、いないにかかわらず過剰な長時間労働をしていれば、ただそれだけで崩れるようなのです。
P208、安全基地としての職場環境
P210、人間の能力とは不思議なもので、強力であればあるほど結果が出せるというものではない。コンディションが良いからといって勝てるわけでもないし、今日はダメだなと思っていても粘り強く投げてみたら勝っていた。
P216、仕事はスキルという呪縛から解き放たれ、仕事はアートなり、というかつてあった思想が呼び戻され、ふたたび深く浸透してゆくことを望んでやみません。
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