20冊目は、
「平穏死」のすすめ
石飛幸三 著
講談社
です。
私は中小企業診断士の資格勉強をしています。中小企業診断士は通称“企業のかかりつけ医”と呼ばれることがあります。通称に“医”とついていますが、実際の医者というのは大変な仕事です。命と向き合っています。本書の著者は医師ですが、十字架を何本か背負っていると述べています。半端な覚悟で、医者を名乗ることはできないと思います。
私は現在、一サラリーマンです。日常の仕事において命と向き合っている感覚はありません。サラリーマンと“かかりつけ医”には技術だけでなく、仕事への覚悟においても高い壁があると感じます。
本書では、医師である著者の仕事への覚悟も書かれていて、私の中の資格勉強への考え方をより高いものへと引き上げてくれました。
人間活性化の観点から本書をみると、医師がロールモデルになりうると感じた私自身の活性化につながりました。私以外にも、コンサルティングを志す人にとっては、医師は一種の目標像になりうるのではないでしょうか。
本書は、特別養護老人ホーム(以下、「ホーム」)における「平穏死」を広く世の中に提案している本です。そして、「平穏死」を妨げている種々の事柄にもふれています。
「平穏死」とは、認知症が進み、ものをのみ込むことさえできなくなった高齢者が、静かに亡くなっていくことをさすようです。
言葉だけを聞くと、普通のことのようですが、今の日本では、実現するのは大変とのことです。
実状は、「平穏死」から遠いところにあり、約6割の人がホームで死ぬことを望んでいても、現実は8割の人が病院で息を引き取ることになっています。
その流れは簡単には、以下のようなものです。
認知症のすすんだ高齢者は、食べ物を飲み込む機能が低下し、誤嚥(ごえん)により肺炎を起こしやすくなります。
そこで、経鼻胃管(けいびいかん・鼻の孔から胃に管を通して栄養をとる手段)や、胃瘻(いろう・腹から胃に孔を開け、管により栄養をとる手段)を医者から勧められます。
処置をすれば生きている時間は長くなるため、多くの方が処置を受けます。
しかし、それでも胃の内容物が逆流するなどで肺炎は発生し、点滴を原因とする心筋梗塞等も発生しやすくなります。
体調を崩し、病院に運ばれて息を引き取ります。
著者は経鼻胃管や胃瘻により、高齢者の苦しみは増えていると訴えます。
ホームにおける医療の目的は、安らかな死を迎えられるようにすることであり、安易に生命を維持することは、この目的の達成にそぐわないといいます。
著者は食事がとれなくなった時点で寿命であると考えています。食事がとれなくなった高齢者に対して、家族の同意の上で、水だけを与える処置により、実際に何人かの看取りを行っています。結果、高齢者も苦しみが少なく、終のすみかであるホームで最後を迎えることができると書いています。
この議論には、様々な論点があり、著者と異なる意見をもつ医師もいるようです。
認知症で意思表示ができない高齢者の家族も延命処置をするかしないかで、とても迷うようです。苦しんだとしても生きていた方がいいのか、もう寿命だとみなすのか。
私も、もしその立場になれば、とても迷うでしょう。どちらがいいかという、答えなどないのでしょう。
本書を読んだ感想として、生と死の現場には感謝の心があると感じました。
生や死には、知識や技術だけで対応することはできず、“心”も使います。
医師と患者・家族との心と心が触れ合う時、感謝というものも生じるのだと思います。
心を使うことは大変ですが、感謝という得るものもあります。自分自身の日常で、どれだけの心を使っているかを振り返れば、自身が得ている感謝の少なさにも納得がいくような気がします。
また、最後に付け加えますが、社会の仕組み上、医療やホームの現場に死が集まりすぎ、現場で働く人の心は大変消耗しているのだろうとも思います。そんな心の消耗を犠牲にして、現代社会は成立しているのでしょう。現場で働く方の心理ケアは、社会で負担してもよいのではないでしょうか。
印象に残ったことばを引用します。
P26、そもそも九十歳前後の超高齢の方の基礎代謝は正確には判っていません。必要なカロリーはいくらかも判っていません。老衰した体にとっては、必要なカロリーという考え方自体が適切でないのかもしれません。体はもう生存することをやめようとしているのです。
P83、多くの医師は、自然死の姿がどのようなものか知る機会がありません。
P100、特別養護老人ホームの制度が固まった際、日本医師会と厚生省(当時)との間で、ホームの配置医には保険診療ができないことが決められたそうですが、その経緯は明らかではありません。
P105、特養の役目は、キュアよりケア
P108、穏やかな最期を迎えたい、これは人間にとっては最も基本的な欲求です。しかし、日本の特別養護老人ホームは、個人の意志が尊重された、自然な、人生の終焉を迎える施設として、その目的を完結できるシステムになっていないのです。
P173、核家族化した超高齢化社会において、認知症の親を、夫を、妻を個人で介護することはほとんど不可能です。特別養護老人ホームは現代の駆け込み寺です。
P192、そもそも医者とか教師とかは人のために尽くす使命を帯びていたはず。そう開き直っていつでもどこでも連絡に応じて、必要な対処をしました。