2011年1月23日日曜日

今日の芸術 (12/100)




12冊目は、
今日の芸術
岡本 太郎 著
光文社 です。

タイトルには芸術とありますが、私は、本書のメッセージは、
「全身で充実して生きよう、生きるよろこびをとり戻そう」
ということだと思いました。

本書は1954年に初版が出版されていますが、岡本太郎は57年前に、
「この社会に生きる人は、生きることに充実していない。不完全燃焼の感覚がある。毎日毎日の生き方が、『なにかほんとうではない。こんなものではないはずだ。』とあせっている。そして、ほとんどの人間はあきらめて、適当にやっている」
と言っています。

この言葉は、今の社会を指しているのではないかと思ってしまいます。

そして、岡本太郎は、その原因として、「自己疎外」をあげています。

例えば、テレビでプロ野球のファインプレーを見て楽しむ。しかし、自分は指一つ動かしていない。自分は参加していない。そこに、自分はいないのです。

岡本太郎はそんな心境をさして、
「楽しみながら、逆に傷つけられている。言いようのない空しさに。自己放棄をやめなければならない。」
と言います。

今の時代は、さらに自己疎外しやすい環境が揃っていると思います。テレビやインターネットから、世界の映像が得られ、楽しい映像も、感動する映像も、怒りの映像も得ることができます。

一人で、部屋にいるだけでも、喜怒哀楽があるのです。

しかし、自分は参加しておらず、疑似体験だと思います。こういった疑似体験は、自分の能力を弱めているように思います。知識はどんどん増えていきますが、人間としての力は弱まり、普段テレビやPCから受信しているような映像を、作り出す側になることはできないと思います。

振り返って自分はどうかというと、私は、ときどき、ジョギングをしますが、走っているときは、少し生きる手ごたえを感じます。マラソンを走っているとき、強く手ごたえを感じます。目標のために勉強している時も、生きる手ごたえは少しあります。また、仕事で、手ごたえを感じることも、まれにあります。家族と過ごす時間は、充実感を感じることが多いと思います。

しかし、それ以外で、生きる手ごたえを感じる瞬間は少なく、自分はそれだけ、生活に参加していないということだと思います。今、虚しいのであれば、自分が創っているものが、自分の人生を創っていないと感じているのではないでしょうか。

便利で、また、いろんなルール・権力・圧力がうずまく、この社会で、自分であり続けることはとても難しいと思います。でも、それができなければ自分の人生に満足できないとも思います。10戦10勝は難しいと思いますが、全敗ではなく、少しでも勝率を高めたいと思います。

尾崎豊の「僕が僕であるために」の中でも、
「僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない」
と、ありますが、本当にそうだと思います。戦うのをやめたとき、冒頭の、「あきらめて適当にやっている」状態になるのだと思います。

人間が活性化するためには、体を動かして、自分の生活を創り出し、生きる手ごたえを感じていることが条件だと思います。活性化しているならば、生きる手ごたえを感じているのではないでしょうか。

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