先日、食あたりになった。幸い、命に関るようなものではなかったが、完全にダウンしてしまった。今は、元気になったけれど、ダウンした状態から回復すると、「元気」を実感することができた。元気なときは身体の中が「詰まっている」感じがする。
「余裕」ということについて考えてみたい。
【時間】【お金】【元気】などには、余裕や不足という表現がある。
人にとって、余裕は必要だろうか。
余裕には2つの顔があると思う。
一つは、精神安定剤。余裕があることで、あせらずにすむ。
もう一つは、浪費への入り口。余裕があると思うと、無駄遣いしてしまう。
この一ヶ月ほど、ぼくは充実していた。なぜなら、資格勉強に専念し、それが目標どおり進捗していたからだ。試験が近づいてきて、時間に余裕はなかった。また、お金も余裕はなく、パチンコ等のギャンブルにいこうとも思わなかった。お金や時間に余裕がなかったからこそ、すべきこと以外はしなかったために、目標どおりの生活を送ることができ、結果として充実感があった。
お金や時間に余裕があると、その使い道が欲望としてムクムクと沸きあがってきて、すべきことよりもやりたいことに気が向いてしまう。
実際のところ、自分のロードマップを考えると、手をつけていないことは山ほどあり、時間もお金も元気も足りていない。
そういった、まだ、形になっていないものを差し置いて、無駄遣いしようとするのはなぜなのか。
本来であれば、余裕があれば、貯蓄にまわすべきであると思う。貯蓄しておけば、不測の事態にも対応でき、大きな予定変更をしなくて済む。
お金は貯蓄できる。時間も、スケジュールを前倒しにすることで、未来に余裕を作ることができる。元気については、余裕のうまい使い方は、今はわからない。
お金にせよ時間にせよ、将来的には必要になるし、不測の事態のリスクヘッジにもなるのだから、余裕を使い切ってしまうのはおろかな行為だ。
しかし、人間は、余裕があると使いたくなってしまう。余裕を浪費したくなったら、どうすればいいのか。
これは、無意識上で、なにかしらの理由で“余裕の重さ”に耐えられなくなっているのかもしれない。どれだけの“余裕の重さ”に耐えられるか、どれだけの余裕を所持できるかは、人間の器の大きさによるような気がする。
お金をどれだけ蓄えられるか(、どれだけ稼げるかということではない)、時間をどれだけ前倒しにできるか。
貯蓄できない人間は人間が小さいということではない。貯蓄しようと決めた時に、どれだけ貯蓄できるかが、人間の器の大きさだと思う。器の大きさは、自分への甘さ、心の弱さとも言い換え可能だろう。本当は長い目で見たら余裕などないのに、「ちょっとくらい大丈夫だろう」と余裕があると思えてしまうのだから。
とはいえ、いくら自制心をはたらかせても、余裕があると思えて、無駄遣いしたくなることはある。ぼくは、日常茶飯事である。おそらく、ぼくと同じように自制心と無駄遣いの欲望との間で苦しんでいる人はいると思う。
そこで、提案であるが、それならば、その「余裕」のうち、半分だけ使ってみるというのはどうだろうか。そして、残りの半分は予定通り貯蓄にまわす。(時間の場合、半分無駄に使って、半分はすべきことを進める。)
ということで、今日、どうしても勉強以外のことがしたくなったので、勉強の終了予定時間までの半分はいろいろやって、残り半分は勉強した。そうすると、けっこうスッキリ勉強をスタートできた。
半分使うことで、うまくガス抜きしながら、貯蓄を増やす。貯蓄を増やすことは、ひいては、その人の器を大きくすることにもなるだろう。慣れてくれば、ガス抜きに必要な量は半分より少なくなっていくとも思う。
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人に余裕は必要かというと、必要である。
だけれども、余裕があることで、充実した生活に悪影響がある人もいる。
そのため、余裕とうまくつきあう方法を身につけることも合わせて必要であると思われる。
また、今回は考えることができなかったが、休息についてももちろん必要であると思う。
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