今、読んでいる最中の本、柴田昌治著『会社を変える人の「味方のつくり方」』という本の中で、「足し算の人間観」という言葉がありました。この「足し算の人間観」という考え方は、今の私にとって、とても衝撃的でした。
足し算の人間観とは、今の現実から出発して、良い点をどんどん増やしていこうという考え方です。
この考え方の反対は、「引き算の人間観」というものです。これは、まず「理想」があって、「今の現実」と比べて、足りないものを補っていこうとするものです。人間観を経営と置き換えたら、目標と現実の差を埋めようとする経営スタイルは、ビジネスの世界では、けっこう一般的な考え方ではないかと思います。
しかし、これは、「今の現実」を不足しているもの、欠けているものと見なすことになります。もちろん、欠乏感はモチベーションの源泉になることもあります。ただし、例えば理想の上司と現実の上司を比べたらどうでしょうか。いろいろと不足している現実の上司に対して、不満が募り、コミュニケーションに支障をきたし、関係は破綻してしまうのではないでしょうか。かくいう私もそのクチで、いろいろと痛い目、苦しい目にあっている方だと思います。
もう一つ、私にとって重要だったことがあります。
私は、「明日も今日のような日であればいいな」と思うようになりたいと考えていますし、そう思う人が増えればいいなと考えています。これは、私の信条という表現に近いものだと思います。
しかし、これを引き算で考え、理想の今日と実際の今日を比べると、理想通りに過ごせる一日というのは、ほとんどありません。目標の勉強時間に達しなかった、掃除をしなかった、TODOリストにないことをしてしまってやるべきことができなかった等、なかなかうまく行きません。「明日も今日のような日であればいいな」と願うにも関らず、実際にそう感じることがほとんどできないのです。私はここに、引き算の致命的な点を知ってしまったのです。
では、具体的に足し算の人間観の生活とはどのようなものなのでしょうか。
私もここ、二・三日考えていますが、完成してはいません。
ただ、私の仕事である社内の管理業務でいえば、「社員の仕事を支援し、ありがとうと言われる」ということかなと思います。また、将来希望する人事労務コンサルティングの仕事でいえば、「職場や労働環境をよくして、毎日を楽しく過ごす従業員が増える」ことだと思います。そういった人が、日ごとに増えれば、こんなに楽しい足し算はないと思います。
また、プライベートでは、「妻と心のつながりが強くなること」、「親に喜んでもらうこと」、「友だちと楽しい時間を過ごすこと」、「同志が増えること」、「人の役に立つこと」などが、増えるとうれしいことだと思います。また、その他に増えてうれしいものとして、「寿命」「読書量」などもあるかと思います。夜、その日を振り返って、上記のことがあって、人生における累計が増加していたら、今日という日に満足して、明日も今日のような日であればいいな、と思うことができると思うのです。
まだまだ、自分の中で完成された考え方でないので、「理想」は持たない方がいいのか、とか、日々に満足したら大きな目標を追うことを辞めてしまうのではないか、とか整理できていないこともあります。ただ、足し算の人間観は、とても大切なことだと捉えています。
余談ですが、「明日も今日のような日であればいいな」という願いについて書いておきます。
人生は、基本的に同じような一日の繰り返しの積み重ねです。そんな人生を満足いくものにするには、各一日を良いものにすることが重要です。その一日が良いものとなったとき、「明日も今日のような日であればいいな」、と感じると思うのです。
ちなみに、私のアカウント名、PlayingCanonというものも、同様の考え方で名づけています。Canonとはいわずと知れたクラシックの名曲ですが、中学の音楽の授業で、「カノンとは繰り返しを意味する」と習いました。つまり、Canonという曲は繰り返しなのです。それなのに飽きることなく、とても美しい。人生も、この曲のように繰り返しだけれども、美しさを感じるものでありたい、という願いでつけた名前です。
今後も、足し算の人間観について、さらに考えていきたいと思います。
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